ありがとう

ここ最近、ありがとう をあらためて反すうしている。

友人が小耳にした話。

早朝5時、いつものジョギングしてる人。

9時開店の薬局の前ですでに並ぶ人を見かけ思わず声をかけた。

マスクを買いたくて。。との返事。

その言葉を聞いたジョギングの人、いったん家に帰りまた薬局へ。

開店を待つ人にマスクを渡すため戻る。こんなに早く並ぶなんてマスクなくてほんとうに困っているんだろう と感じたから。

 

 心配、不安や恐怖にアッサリのまれそうになるこんな時だから

このジョギングの人みたいに自分達にも出来る事を無理せず出来たら良いね。

ちょっとした心づかいにありがとうの気持ちが広がりそうだね  と友人と話した。

 

それから 自分なりに ありがとう を考えていた。。

ずいぶん前の事が浮かんだ。

幼稚園の大きい組さんくらいの双子の姉妹。ふたりのやりとりで あれ? と感じた。

 遊んでるふたりの中で  ありがとう がよく出るんだけど、こういう ありがとう があるんだ。。と印象に残った。

規則だから言う  てな感じに聞こえ印象に残った。

 

そして、次に思い出したのが

娘が旅立った頃、友人が心の中で娘に

ありがとう と思った時 出し抜けに聞こえた

「ありがとう  はお父さんとお母さんに教わった。」との言葉と共に

私たち親が事ある毎に ありがとう と娘に言っている様子が見えたそう。

友人からその話を聞いた時は、普段のやりとりが思い出されせつなくうれしかった。

そして、ほんとにいつも娘の助言に助かり言っていた  ありがとうを

娘は私たちから教わった と捉えていたことがわかり

それにも  ありがとうだよ と友人と娘に感謝していた。

だんなさんにはその友人とのやりとりは話せていないけど。。

 

今それらのことを思い出すと  

ありがとう  の気持ちが

まるで形のあるもの の様に 

大切なものが今自分の手の上に存在している様に感じられる。

今まで目に見えない  と思っていたものが見えるようになったのかも。

そういう世の中になったのかな。